旅行記inかぐらみつまたby坂場

はっきり言っとくと。半月も経ってから旅行記書こうとしたって、そもそも無理。記憶は次第に薄れていくものだし、そもそも手元に勝敗表もない。だから、かなり書くことはいいかげんになる。まぁ、合宿に参加してないから、それについて何か書くのが不可能だ、ってことで。いわば代用品です。次回こそは参加しようと思いますので、ご容赦を。

2月21日
当たり前のように研究室に行き、いい加減にウィークリーレポートを仕上げる。この週は確か、コンプトン反跳電子の第1ステップの軌道が電場をかけることによって変化するとか書いたはず。ちなみにこれは、後で計算が間違ってたせいだったことに気付いたわけだが。所詮無駄な努力。
帰ったらだいたい20時…くらいだったと思う。次の日の朝早いから玉と道家が泊まりに来ることになってたが、連絡がない。この二人、宿泊先・乗る電車など、かなり重要そうなことを何も知らなかったりして、かなり恐ろしい。とりあえず、帰る直前に道家と連絡が取れたので、何とかなるか。家についてから玉とも連絡が取れた。この2人と合流できるかどうかが一番の心配だったので、まずはよかったといえるだろう。
荷物の準備は当然出かける前にしておいたので、夕食を取って道家と玉を待つ。
道家がついたのは何時くらいだったか忘れた。あまり遅くならず来たような。ウェアを着て、板と靴を持ってる。大荷物で大変そうだ(所詮人事)。道家が来たあと、ウェアを排除して荷物を少なくすることを検討した(ウェアがある場合、けっこう大きいバッグしかないので、邪魔な気がした)が、結局持っていくことにする。
玉が来たのは、けっこう遅くなってからだった。何字くらいだったか覚えてないけど、0時近かったような。怪しげな紙袋を持っているので何かと思ったら、モノポリーらしい。マジか。いや、その情熱はすごいけどさ。
暇つぶしに少しAOC(しかも一人プレイ)をやったりしたが、次の日速いから割と早めに寝た。当然のごとくうちは寒いわけだが、あったかそうな布団はホストの特権として確保。毛布とコタツ用の布団(コタツはうちにないが、予備として存在している)で我慢してもらうことにする。

2月22日
朝、5時くらいに起床。とりあえず、僕は風呂に入ってから出かけることにしてたので、割と早めに起きた。準備してから早速出発。が、高田馬場での乗換えで、道家が手間取る。
…まぁ、大荷物だからね…
結局、乗る予定だった電車から一本遅れた。というか、一本遅い電車できても一緒だった。早起きした分損だ。昔、朝の10分は夜の1時間に匹敵すると聞いた気がする。…なんかのエロゲーだったかもしれない。
池袋で埼京線に乗り換えたところで、篠原と合流。さらに、赤羽で高崎線に乗り換え、大宮で星野・山口と合流した。電車の時間までしばらくあったので、ここで朝食をとることに。よく冷えていた。冷たい弁当はどうなんだろうか、と思った。そんな日のこと
電車に乗ってからは乗り換えなしなので、囲将会らしくナポレオン。面子は確か、篠原以外の5人だったと思う。
…激しくクソゲーだった。
まぁ、立ちすぎという説はあるのだが。それなりに無理立ちしてそれなりにブレークした。というか、勝てるかどうか微妙とか思いながら立つと、確実にブレークするし。中引きはマイナスばっかだし。玉がつきすぎている。確かここで、-14とかになった。
越後湯沢で、酒を買おうとするが、時間が足りず断念。とっととバスに乗ってスキー場に向かう。
やがてかぐらスキー場到着。宿はスキー場の目の前だった。すばらしい。レンタルを済ませ、早速滑りに出ることにする。前行ったのがB3のときだから、2年ぶりだ。でも案外覚えているもので、何とかなりそうな気はした。問題はむしろ、初心者の玉と山口だろう。果たして、篠原が帰ったあと、何とかなるのだろうか。自分に激しく自信ないが、やはりある程度面倒みなければならないのだろうなぁ。
昼食は基本を抑える意味でカレーを食ってみた。やたら混んでるのには閉口したが、スキー場の食堂なんてこんなものかもしれない。
雪がちょっとちらついてたが、晴れてるよりはずっといい。
宿に戻ってから、買出しに行く。アイスは基本だ。後は日本酒とかつまみなどを買った。とりあえず今回は宇治茶。来ないやつの分買わないのは当然。柿の種ストラップに激しく心奪われるが、まぁ、後でということにする。
夕食までどの程度負けたのかは忘れた。たぶん-4かな。夕食時。なんと。IBMに就職した、元同じ研究室のやつがいた。似たやつがいるなぁ…とは思ったが、まさか本人とは。すごい偶然。日本って狭いね。
その後、モノポリーで3位だったりしたが、あまり覚えてなかったり。何経営したんだろう。ダークブルーで、神がかったかわしを見せたのかもしれない。玉がグリーン自力でツモってクソゲーになった気がする。ナポレオンもやったかもしれないが結果も謎。

2月23日。
この日も、曇りで雪がちょっとちらついてた。田代エリアまで足を伸ばすことにする。引率がいっぱいいるときじゃなきゃできないし。恐る恐る、二人の面倒を見ながら進む。
が。
途中で大事故発生。山口のレンタルスキーのビンディングがずれて、靴がはまらなくなった。リフトまでもかなり遠い。ちょうど中間地点くらいだ。

仕方がないので、修理できそうなとこまで篠原が背負って降りることになった。 …っつーか、篠原すごすぎ。ほんとに背負って滑ってるし。めったにないものを見た気分だ。
結局、しばらく滑り降りたあと。平地で、ビンディングを直すことに成功した。

ちなみに、僕も、ストック運ぶのに協力したりとかはしてる。あと、ビンディング治したのも僕だし。
けっこう疲れたが、普通のスキーでは味わえないようなすごい達成感だった。 田代湖が見えた瞬間はほんと感動的だったし、昼食は最高だったといえるだろう。しかも、割とすいていた。確か食べたのはチキンソテーだったと思う。まぁ、こんな事件は2度と経験することもないだろう。
そういえば、一度、篠原がこけたとき、山口が激しく(約10m?)転がっていった。ちょっと漫画っぽいというか。あれくらい転がるなら、雪だるまにもなれたりするかもしれない。
そのあと帰る時も、ガスってて前が見えにくかったりしてそれなりに苦労したが、行くときほどではなかった。山頂近くでは霧が晴れて、なかなかいい感じだった、と思う。

思ったより田代往復で時間かかってて、結局この日は戻って終わりだった。篠原は下山コースで帰ったが、狭いとこにボーダーがいてうざいと言ってた気がする。すごい速さで降りていた。その後、篠原は帰宅。社壊塵は大変だ。この日からは、泊まってるのがほとんど囲将会だけになっていた。
ちなみにこの日のアイスは、コシヒカリもなかでした。
この日もナポレオンをやったはずで、確か大体0くらいには抑えたはずだ。ココで流れが変わったに違いない。玉の流れは変わらなかったが。

2月24日
やっぱり曇り。今日から篠原なしで戦わなくてはならない。そんなことはともかく、この日は中級者コースで遊んだりしたあと、午後、ジャンプ台に特攻した。このコースはいわゆるボーダー用のやつで、ジャンプ台が3つあって、他にもウェーブとかいろいろある。もともとはウェーブが面白そうだ、ってことで行ってみたが、いつのまにかジャンプに挑戦することになっていた。ちなみに、コースに途中から入っているので、最初のジャンプ台には行っていない。
一回目
最後のジャンプ台で飛ぼうとしたが、目の前で星野がこけたのがわかったので、自分もこけた。事故回避。でも、道家とかに文句言われる。
二回目
2番目のジャンプ台で飛ぶ。が、こける。しかも板が片方飛んだ。慌てて退避して、板履きなおして、コースに復帰。
三回目
3つ目のジャンプ台。今度は成功。あまりの感動に気を抜いて、フィニッシュ前でこけたりしたのは仕方ないことだろう。
四回目
また2番目のジャンプ台。さっきの失敗のリベンジ。見事成功。コツがつかめてきたか?割と調子に乗った。または自分酔い。
五回目
最後のジャンプ台。加速しすぎ。というか飛びすぎ。明らかに、自分の体がジャンプ台の上に飛んでるのがわかった。そして、前傾姿勢をとろうとしたものの左足が上がってしまい、そのまま激しくクラッシュ。マジ痛かった。板が飛んだので、もう片方をはずして回収したが、なかなか履けない。しかも、なんか、倒れてたあたりに血が飛び散ってるし。
…まさか怪我…?
かなり不安になったが。
結局、その血は元からそこについてたものだった。誰かがクラッシュしたのだろう。まぁ、クラッシュしやすい場所だから仕方ないとしても、なんて紛らわしいんだ。これで、ジャンプ台からは引退しようと決意した。
というか、実際、就活もやらなきゃならない身で、怪我なんかしたら大変だったと思う。無謀なのはぜんぜん変わっちゃいない。進歩がないな。
この日は、このあと、下山コースで帰ってみたが。ひたすら狭い。それなりに急だったので、かなりスピードを殺しながら降りた。あまりにスピード殺してるため、降りててぜんぜん楽しくない。見晴らしも悪いし。これは、篠原がお勧めしないといってたのもうなずける。人がいなくてよかった。
ちなみに、この日の昼食はうどんにしてみた。けんちんうどん(団子つき)を注文したわけだが、この団子が予想以上にうまかった。むしろ、心の中では団子がメイン。それから、2日間は食べてなかったので、最後くらいはということでケーキも食べる。なんということだ、スキー場にきていままでケーキを食ってなかったとは。
帰ってからいつもの買出し。日本酒を何か補充した気がする。
ちなみに、この日買った日本酒はほとんど自分で飲んだ気がしないでもない。いや、きっと気のせいだな。気のせいに違いない。
この日のアイスは、バナナクレープを購入。かなり怪しい見た目だ。結論から言うと、不味かった。
買出しの後、近くに温泉があるということで、次の日帰る前に寄れないかと見に行ってみるが、ピンポイントで火曜定休日だった。しかも、部屋に帰ったところつまみのスモークビーフタンがすでに消滅していた。まぁ、道家に買いに行かせたからよかったが。
この日は、少しジャパニーズルーをやってみた。かなり久しぶり。前回のスキーでのほろ苦い…というより薄ら寒い経験がよみがえる。もちろん今回はノーレートだ。そして当然のごとく負けた。相変わらず玉強すぎ。が、ノーレートなのでこの際気にしない。
この日のナポレオン。最初原点付近で、途中無理立ちしたところ-10くらいに落ち、無理立ちを止めて-2まで回復した。その後、オンリーメーク2回、普通のメーク2回を連続で達成して+10。しかもオンリー2回目はインテンショナル。かなり感動的だった。この日は、星野が-20になっていた。玉は相変わらず馬鹿ヅキ。どんなに無理っぽい手で立ってもメークしている。絶対ブレークの形でも、連合がミスしてメークする。
ちなみに。このナポで、道家が無理立ちしてブレークし、次でも無理立ちして
「学習不足だったね」
という名言を残してオンリーになって散った。

2月25日
最終日。薄曇、というかむしろ晴れ。こういう日に鍵って日焼け止め塗るの忘れるし。この日は帰る都合もあり午前中で終了。仕方ないので、短いコースを何度も滑ってたところ、リフトの職員のおじさんに「独壇場だったねぇ」とか言われた。結局この日は、ジャンプに挑む気力はなかった。星野はジャンプかなりやったらしい。最後も普通に飛んでいた。
帰り、なぜかけっこう不幸が多かった。昨日の団子がうまかったので、宿のフロントで売ってるのを土産に買おうとしたら、前日注文しないとダメだったらしい。さらに、バスの時間に余裕があるので隣のバス停近くのラーメン屋に行こうとしたら、閉まっていた。火曜定休。呪われてるのだろうか。かなり落ち込んだので、最後にコシヒカリアイスを食べることにする。
結局、昼食は越後湯沢駅近くのラーメン屋になった。その後みやげ物の調達を行うが、なんか最初の土産物屋で玉がもたついている。宿の人の話として「古藤の団子がいいよ」ということだったので、山口とともに団子を土産にするために他の人を置いて駅に探しに行った。まぁ、せっかちすぎたことは認めるけど、もう少しキリキリ動いてほしかったのだが。結局改札の近くで売ってて、無事に買って合流できたのでよかった。
帰りの電車は細かく乗り換えが必要だったので、ナポレオンはそれほどたくさんはできなかった。帰りのナポ1回目もオンリーメーク。流れは続いているのかと思わせて、実はそうでもなかった。でも、最後もプラスだった気がする。結局、トータルで-5。玉が+30で、後は全員沈んだ。このリベンジは合宿で果たしてやるぜ、と心に誓いつつ、スキー旅行は終了した。

ちなみに。結局合宿には行かず、祖母の米寿のお祝いで実家に帰ることになってしまったのは掲示板に書いたとおり。祖母には小さいころ世話になったし、また、行かないと両親が伯母たちにいろいろと小言言われるだろうから。

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