日記


2001年

3月

3月31日
癒し系

今月3月16日にこの日記は現在の形式にしまして、この半月の間に自分のことをそれまでよりもかなりぶっちゃけてきました。

人によってはこれについて、「侍魂のパクリじゃん」とか
キャラじゃないとか
「汚れ系になったんだね」とか素敵なコメントをいただきました。











痛いご意見ありがとうございます。












でもね









痛みを感じつつも、この日記を続けられるのには理由があるんです。











その理由は





世の中には上には上が居るから












人間には自己防衛本能というものがあります。

誰しもが外界と自分を比較し、特定の部分において優越感を他に対して得ることで自我が崩壊せずに保てるというものです。

これはいわば、他人よりも自分の方が上だという悲しき相対性理論
*相対性理論:「勝手に改蔵」に登場した用語。他人と自分を比較して人は生きているという悲しき理論。アインシュタインとは全く関係なし。

そして、






日記とは相対性理論の極限と見つけたり!











日記版相対性理論は通常の相対性理論を遥かに超えています。

簡単に言えば、
相対性理論+特殊相対性理論=日記版相対性理論







どういうことか説明していきましょう。

日記系のサイトをご覧になったことのある方なら分かるでしょう。

面白い日記系サイトは大抵痛いあるいは変態です。

そして、これらの日記サイトには痛い系などと名付けられたリンクがあるのです。

自分のサイトを棚に上げて、他人のサイトを痛いと言うのです。







これはまさに、管理人達による「比較的自分の方が幸せだ」という間違った相対性理論。











だが











彼らの相対性理論はここだけに留まらない











それが最悪の相対性理論





特殊相対性理論











即ち不幸自慢

















自分の日常の方が悲惨だという、競っても仕様が無いジャンルでの戦い。

戦いの後には確実に屍が累々と・・・

負けても死、勝っても死のこの不毛な戦い





何故そんな戦場へ赴くのだ、勇者よ?(泣)

















私がこの日記を書くにあたり、数々のサイトが私に勇気を与えてくださいました。

いつもそういった日記系サイトは私の励みになってます。

そして思うのです。










あぁ、私って幸せだなって











比較すること自体が痛いって言うな。

ろじっくぱらだいす侍魂などは本当に励みになります。

これらのサイトは痛い系であると同時に、ある意味癒し系







お互いにお互いの傷を舐め合うその姿はまさにオアシス







完全なる廃人











ワタナベ様、健様、翳ながら応援してます。

そういえば、今日は3月末なのに雪降ってんのね。

今年スキーに行かなかった(というかバイトとかもあって行けなかった)私に対するあてつけか?これは。

・・・その内にスキーネタも書こう。

或る人の了解取らなきゃいけないけど。


3月30日
モデムは永遠に

本日自宅の工事を終え、ついに常時接続の仲間入り。

おもえば、この構想自体は昨年よりあったものの、実現したのは今。

実に長かった。





兎に角、今日からケーブルになったわけだが、これによりまず感じたことは接続音が無いということ。

あのモデムの「ピーピーピーガーッガーッピガー」っていう音がなくてネットにつないでいるというのはどことなく変な感じ。

モデム生活は長かったからなぁ。





それから次に思ったのは、転送速度の速さ。

いやぁ、普通のモデムなんかお話にならないですな。

もうこれからは、

先行者、おそるるに足らず!





これはまさに完璧なネット環境






今まで気にしていたダウンロード時間も電話代もまとめて問題解決。





よって、「これでもうモデムが不要だぁ」・・・って事はないです。





それはね、このサイトが大学公認だから









大学につながなきゃここは更新できないのです。





つまり、ケーブルになってまでかさむ電話代の恐怖。

おそろしや、おそろしや。


3月29日
FIRE!!

今日はA群の科目登録。

私はA群科目は既に単位が足りているので、これは全く関係なし。

よって、今日学校に行く理由は本来はないんですが、部室を掃除するためだけに雨の中学校へ。

本当はこの事が今日の主な日記のネタになるはずでした。















ところが















ネタは突然やってくる















即ち不幸は突然に・・・


















それは家に帰ってすぐの事でした。

テーブルの上に一通の封筒が置かれてあることに気付き、私は何気なくそれを取り上げました。

宛名が私宛になっていたからです。

どうやら、この封筒はバイト先から私に向けて送られたもののようでした。

消印が3月28日となっていることからみて、昨日のうちに出されたものであるようです。

「なんだ、連絡があるなら昨日バイトだったんだから、直接言えばいいじゃないか。」

と思いつつ、私は鋏みで封を切りました。

しかし、考えてみれば変な話でした。

今までは連絡があるときは電話がきていたのに今回は手紙。

どういうことなのか、全く検討が尽きません。

なにか、よほどのことが中に書かれているのでしょう。

この辺まで思考が進み終えたところで、封を切り終え、中身を取り出しました。

封筒の中に入っていたのは2枚の紙。

一枚目・・・は給料明細。

あぁ、こんなのを郵送してくれたのか。

確かに、電話で言うような内容じゃないね。

そう思いつつ、何気にもう一枚の紙を手に取り、そっちに視線を落とします。











・・・!!



















バイトをクビになりました。(泣)












そうです、この封筒は解雇通知書だったのです。









これは別にガセネタじゃないですよ。

昨日バイトのことを日記に書いて、タイミングよすぎるって思っても、これは真実なのです。(泣)

解雇理由は3つほど書かれていて、

1)適性のなさ
2)労働意欲の欠如
3)企業としての売上の伸び悩み


が主な理由だそうです。









つまり、何かい?

私は能力が無い上にやる気が無いからリストラしたいと?









・・・・・・











言われたい放題じゃないか!!(怒)















本人としてはこの通告はよもやでした。

寧ろ、今年はバイトやるつもりで授業入れようと思ってたわけだし、意欲はあったはずなのに・・・。

適性のなさや、経営状態は仕方が無い。

これは私がどうしようと思ってどうなるというものではないから。

でも、意欲まで何故に否定できる?













けっ、そんなくそバイト、こっちから願い下げじゃ。

傲慢にもほどがあるわ。

こんな手紙で解雇通告せんで、直接本人に言う勇気はないのか!

















・・・本当は強がってるだけなの。

かなりショックなの。

お金ないの。

グスン。


3月28日
消滅

私は現在バイトをしています。

バイトを始めた理由は二つありました。

一つは金を得るため。

これはバイトをするものとしては当然です。

そして、もう一つは今年はバイトをする余裕があると思ったため。

私は今まで単位は全く落としていないので、授業の取り方次第でバイトをする時間は十分創出できると踏んでいました。





ところが







予定外の自体が水面下で発生していたのです。

この事態に気づいた時はかなりあせりました。











私のいる学科は非常に単位に対する制限が複雑です。

3つのコースに分かれており、各コースによって取らなければならない単位が変わってきます。

私は自分が取らなければならない単位はすべて1999年度版学部要項で確認していました。

バイトがあるのは月・水・金なので、この曜日は5限まで授業をいれないようにすればいいのです。

今年度取れるコース選択科目は次のとおり。(1999年度版要項より)

電気機器A
電気機器B
電力システム工学
制御工学A
制御工学B
高電圧工学
数理計画法
回路理論2A
回路理論2B


このうち、バイトにもろ影響を及ぼす時間帯にあるのは電気機器Aと電気機器B。

つまり、これ以外の科目を履修すればバイトは全く問題なしです。

単位数的に取得したいのはこれらのうち、5科目。

なんだ、7科目中5科目か。

はまりっぽい奴を切って選択していけば良いんだね。

このときはそう考えてました。







しかし、いざ時間割を考えようと思ったときに恐ろしい事態発覚。

取ろうと思っていた回路理論が消えてます。

代わりに入ってる確率統計はどういう扱いになるんだ?






まぁ、兎に角ということは考えられる科目の取り方は5科目中5科目の選択。

・・・選択肢全くないじゃん。

まぁ、そういうこともあるさ。

その5科目取ればいいじゃないか。





でもね
高電圧工学の教員、○江なんだけど・・・






○江に関してはいい話は聞いた事ないです。

この名前を聞くと2年連続でこいつに単位を落とされた先輩のことが脳裏に浮かびます。

やはり、危険因子は避けるべきなのか。








・・・仕方あるまい。

取ってやるよ、電気機器を。

月曜5限のみでバイトを消してやるよ。(泣)





月曜休みにする予定だったのになぁ。

お金ない会長は寄付金募集中


3月27日
LEADER

リーダーって何だと思う?





「リーダーというものはね

他人というものをおだててこき使えば良いのさ!!

自分は一番大切な場所で!!

失敗してもあははと笑い!!

もしも勝ったらめいっぱい威張り散らしてやるのさ!!みんなの前で!!」

*ARMS8巻より抜粋:高槻巌の言葉














ここで質問をしてみましょう。


Question;囲将会のリーダーって誰だと思う??





Answer;囲将会のリーダーはどう考えても会長です。









じゃぁ、次の質問です。





Question;囲将会の2001年度会長って誰だと思う?





Answer;















そうです。

私が会長です。








ということは、実は現役の中で一番偉いんです、私って。






決してわけわかんない日記を書いている平部員ということではありません。

会長ですよ、会長。

いわば、囲将会の最高権力者。

そんな、偉い私の一日を今日も紹介しましょう。







私が学校に着いたのは午前11時過ぎ。

本日3月27日は成績発表なので、今日は久々に学校に行きました。

成績を受け取るための長蛇の列に絶句するも、それが実は自分とは関係のない学年のものだということを知り、部室に戻ったのは11時半。

学校に来てわずか30分で個人的にやらねばならぬことは完了しました。

しかし、この時期新入部員獲得に燃えるサークルにとってやることは目白押しです。

新入部員を獲得するために、私がポスターについて考えているのは昨日の日記のとおりですが、もう一つ、私には新入部員を呼ぶ上で気にかかる点がありました。

それは、部室の汚さ。

ていうか、汚れすぎです。

あんなところに来たがる奴はいません。

例え始めの内だけとはいっても、お客様の来るところは綺麗に整頓しておくのが常識。

それが礼儀というものです。

となれば、部員の取る行動は決まってます。

そうです、部室の掃除です。





掃除は11時半から行いました。

散らかってる本棚を整理し、ゲームソフトを各種まとめ、新しい抽斗をゴミ捨て場からゲット。

壊れた椅子を廃棄し、新しい椅子を入れました。




でもね、







これをやってた人物って全部私なんだよ。





そりゃ、すべてを私一人で行ったわけではありません。

多少は手伝ってくれた人もいたよ。

しかし、実質的に動きつづけてたのは私一人。

…頼むから掃除くらい自分らでやってくれ(泣)










しかし、雄(おとこ)というものは人知れず努力してこそ雄。

例え、誰も助けてくれなくとも、誰も見向きもしなくともやるのが雄。

援軍が全くなくとも私は独りでやったさ。

飯も食わずに6時間くらい掃除しつづけたさ。

周りで人が遊んでいようとも、黙黙と作業したさ。

それでも良いと思ったよ。

こんな事で新入部員が入ってくれるんなら・・・。










しかし、人が掃除してる時にこの言葉を言われて私は打ちのめされた。

「何でドア開けてんだよ、掃除なんかしてないだろ。」


















激痛




この時私はすべてを悟った。

何故会長自らこれだけ一生懸命掃除しているのに誰も手伝ってくれないのか、それまでずっと疑問だった。

掃除してることすら気づいてなかったんだね。(泣)

それまで何時間も掃除しつづけていたというのに、音もかなり出てたはずなのに。

















ふっ、所詮はそんなもんさ。

例え会長が奴隷のごとく働いていても、その努力は認められやしないのさ。

それでもいいさ。

それでも仕事をするのが

俺は雄を貫いたんだ。

雄は評価なんか求めないのさ























・・・でも本当は努力を見て欲しかったの。


3月26日
宣伝

ついに春季休業も終わりに近づき、いよいよ明日には成績発表。

そして、成績発表が終われば科目登録と、2001年度の息吹を感じることのできる時期になってきました。

ということはサークルとして問題となってくるのは、新入部員の獲得

今年は既に関係者の方々はご存知でしょうが、部室の移転問題などもあるので、部員の獲得は非常に重大な問題なのです。

私はこのことについて、前前から非常に心配しておりました。

ときには思わず
こんな文章を書いてしまったこともあります。

兎に角、私はそのくらいこの問題に対して心配だったのです。




というわけで、今日は囲将会の新入生勧誘について考えてみたいと思います。

私が考える囲将会のいい所は和菓子に書いたとおりです。

この考え自体は今でも変わっていません。

新学生会館が完成して、いざ部室移転となったときに囲将会が存続するためには、将棋部にも囲碁部にもない要素を囲将会が有する必要があります。

まぁ、ある意味今のままの状態でそれは達成できているんですが、新入生を獲得するという意味においては、今のままではダメです。

もっと囲将会の色が周囲に伝わるようにしていかなければならないでしょう。

新入生は何もしないで部室にいるだけでは、きっと囲将会の存在自体に気づかないし、囲将会という名前では何のサークルかわからないという人もかなりいると思います。





例年、といっても私が大学に入学する以前は知ったことではありませんが、新入生に対する勧誘はポスターの掲示によって行われてきました。

囲将会を訪れてくる人に訊くと、大抵の人はこれを見て部室に来てくれているようです。

まぁ、中には私のように例外的な人もいますが、今年は例外は起きない予定です。

というわけで、例年どおりであれば囲将会に来てくれる人は100%ポスターを見て来てくれるという事になります。

去年はこのポスターの掲示できる場所が大幅に削減されたので、貼ったポスターのほとんどが剥がされるという事態になりました。(泣)

今年もおそらくはポスターを貼ることのできる場所は限られていると思います。

ということは、ポスターには周りよりも目立つという特性を持たせる事が必要になります。

しかも、囲将会のセールスポイントを極限まで宣伝する文句が入ってなければなりません。

これらを考えた上で、今年は勧誘ポスターを作らねばならないのです。





まず、ポスターを作るにあたり重要なのは文句です。

これによって、獲得できる新入生のジャンルが変わります。

囲将会は活動内容が限られないサークルなので、新入生はある意味どんなジャンルでも可です。

といっても、いきなり「柔道やりたいっす」とか言われても困るし、それなりには限定していく必要があるでしょう。

ということで、私が考える理想の新入生像としては次のようなものが挙げられます。


・事務能力のある人
・囲碁・将棋の初心者
・旅行など各種イベントに参加してくれる人
・面白い奴
・先行者
・酒飲める奴(贄)

・女の子



まぁ、この辺かなぁ。

ちなみに、『酒飲める奴』っていうのは私の理想というよりはとある先輩の理想

誰とは言わないけどね。

私としては『先行者』が一台あればもう文句は言わない。

あるいは、『女の子』入ってくれればそれだけでいいやって感じ。

あとはイベント参加者がほしいなぁ。

そうでないと来年観光の間がブッツブレになるし。




とにかく、この日記をもし読んだら、新入生だろうが新成人だろうが皆囲将会に一回来て。

現在部員じゃない人は。

上の条件なんか関係ないから。

情けでも冷やかしでもいいから。

マジで囲将会は深刻です。


3月25日
死闘

 思へば此処に至るまでの路は永く険しき路であった。





 ――私はこれより或る個人的な回想を記すつもりだ。

こう宣言するのは、今回の日記が非常に文学的であり、且読者によっては全く解し難い内容であることに拠る。

其れでも猶この書を読まんと欲せられれば此処を参照するとよかろう。

此処には今まで私がしてきた旅の記録や目的が記してある。

亦、私はこの書を記すにあたり、今ひとつ宣言させていただきたい。

それは、今から書くこの異常な書は全て紛れも無く真実であるということだ。

決してエミュレェタァなどの助けは借りていない。

全ては私の血の滲むような努力と偶然の結果なのである。

人はこの頗る異常な書に対し疑念を抱くだろう。

しかし、この書にこれから書かれようとしていることには微塵の偽りも無い。

これが真なのである。

では、心して読んでいただきたい。






 ――此処に至るまでは実に十日もの時間を要した。

この間私は或る時は奪い、或る時は盗み、兎に角生き延びるためにあらゆる手段を講じた。

途中宿に泊まることも幾度もあった。

身体を癒しては戦い、そして奪い、殺戮を続けた。

亦、この十日は逃亡の日々でもあった。

或る時は仲間を盾にして逃げ出し、或る時は仲間の為に主人公をして盾にし生をつないだ。

幾度も神に祈りを捧げ、竜の神に出会っては更なる旅を続けた。

全ては世界を救うためであった。

名も知れない民家を襲うことも何度もあったが、これ致仕方の無いことだった。

旅が続くことは、即ちやがて全人民の願いであり、希望となることを私は確信していた。

私が許されざる行為を繰り返してきたのは、承知している。

しかし、此れは神が私に課した宿命であり、罪なのだ。

贖罪は唯魔王なるものを征する事によってのみ可能であり、亦そのために私は旅に出たのである。

そして、今此処に其れは為され様としている。





もはや眼前には魔王ミルドラァスの姿しか見えない。

どうやら此処で私の旅は終わろうとしている。

この薄暗い空間に存するのは耀かしい未来の鍵であり、此れはもうすぐわが手中に入るべきなのだ。




私は注意深く持ち物を確認した。

これから起ころうとしている戦いは、確かに最後の戦いとなる筈であった。

故にこの戦いで消耗を気にする必要はない。

唯死力を尽くして敵を打ち破ることだけが、私に課せられた使命なのである。

編成には特に気を遣った。

魔王に対し3人で戦いが済む筈は無いからである。

持ち物の分配はよく考えねばならない。

亦、防具が無い故に各個体の守備力や耐性なども非常に重要な要素となる。

HPの上限なども考慮すべきなのは云うまでも無い。

暫く思案した挙句、私は以下のような戦略を立てた。




作戦の中心となるのは炎に強い、ピエェルである。

よって、ピエェルには賢者の石を持たせることにした。

攻撃の主体となるのはドラゴンの杖である。

此れはHPが高く吹雪耐性を有すイエッタに所持させた。

主人公には祈りの指輪を持たせ、メガザルをいざという時に使えるように待機させておき、壁としてはゴレムスを使う事にした。

亦、天空の剣はすばやさの遅いゴレムスに持たせ、此れにより娘との連携を可能にした。

娘とフロォラにはルカナンとマホカンタを期待した。

息子にはザオリクを、オォクスにはベホマラァを使って貰うことにした。

此れだけの戦略を立てれば大丈夫に違いない。

私は魔王を軽く見ていた。

だが其れは誤りだった。

奴の力は私の想像を遥かに凌駕していたのである。




奴との戦いは死闘を極めた。

私の見積もりが甘かったというのもその原因の一つだが、どう考えても原因はそれだけでは無かった。

奴は剛の者だったのである。

先ず苦労したのは変身前だ。

奴は事もあろうに続々と魔物を召喚し、私を苦しめた。

中でも厄介だったのはキラァマシィンである。

凄まじき破壊力、己の傷など顧ないその勇猛さは、私の筆力ではとても書ききれぬものがあった。

しかし、幾度となく私は魔王に挑戦し、ついに奴を変身させるまでに追い込んだのである。

この時の勝因はよく分からない。

唯一つ云えるのは、このときに限りキラァマシィンの姿が見えなかったということである。

呼ばれ来る悪魔神官を一人ずつ屠り、ザオリクを使わせるようにしたのが良かったのかも知れぬ。

何れにせよ、この時私はやり遂げたと思った。

込み上げる達成感を感じた。

間も無く訪れるだろうエンディングを予感していた。

これは当初は変身まで追い込みさえすれば、その後は問題ないと考えていた事に因る。

其れは己の経験に基づいていた。

記憶に因れば、魔王は変身後も完全1回攻撃であり、且その攻撃にはパタァンがあった。

攻撃が読めるのだから、譬え今回此方が弱かろうとも、攻撃力が無かろうとも負けることは無いと思っていた。

この戦いで世界は救われる筈であった。





だが現実はそうは為らなかった。

寧ろ私がミルドラァスの底力に驚かされる事と為った。

変身した魔王は将に怪物だった。

先ず、驚いたのは其の攻撃である。

何と完全1回攻撃ではなく、不完全2回攻撃である。

此れでは瞑想をされる周期が短くなり、攻撃力も予定よりもかなり高い。

ただでさえ此方の攻撃力は低いのだから、此れでは回復量とダメェジ量でどちらが大きいのか分からない。

亦、不完全な2回攻撃というのが非常に攻撃を読み辛くさせた。

此れにより、メンバァチェンジをする機会が非常に難しくなった。

以上のような理由により、もはやミルドラァスの攻略は困難であるように思えた。

世界は闇に包まるるだろう事はもはや疑いようも無かった。




しかし、私はこんな事で諦める気にはならなかった。

折角此処までやって来たのに、此処で諦めているようでは雄ではない。

私はこの戦況にもめげずに、奴に戦いを挑んだ。




戦いは壮絶だった。

戦いは永遠だった。

繰り返される幾度と無い回復、無意味な攻撃、苦し紛れのパルプンテ。

戦力的に絶望的とは云っても、不完全2回攻撃が故に読み辛いとは云っても、私が奴の攻撃パタァンを見切っていることは紛れもない事実であった。

其れ故にいくら苦しかろうとも、戦いが終わることは無かった。

死人はメガザルやザオラル、世界樹の葉などで無限に生き返る。

回復は賢者の石がある。

攻撃に於いては、天空の剣でマホカンタを打ち消した後のルカナンであるとか、ドラゴンの杖などが主体だった。

亦、マホカンタや天空の盾でイオナズンは跳ね返せる限り跳ね返した。

足りなくなったMPはエルフの飲み薬や祈りの指輪、パルプンテで回復しつづけた。

兎に角、戦いは続いたのである。





一時間が経過し、途中で昼食を挿み、復戦う。

其の後も一時間ほど戦った。

其れでも奴が崩れることは無かった。

戦いは終わることを知らなかった。

それでも此方はまだまだ戦うことが出来た。

此れは途中でMPを回復出来る事に因る。

唯回復にはパルプンテを使うので非常に其の瞬間は怖い。

だが、大抵は何とかなるようだった。

全員がドラゴンに成り回復できなくなった時、或いは全員が睡眠状態に陥った時は流石に負けを覚悟した。

しかし、其れでも実際には負けることは無かった。

戦闘は延々と続いたのである。





戦いは永遠だった。

戦いは無限だった。

この時私は初めてミルドラァスが魔王たる所以を知った。

奴は確かに強かった。

奴は果てしなく大きかった。

奴は宇宙だった。

全てを呑み込み、そして調和していた。

其れは留まる所を知らなかった。

其れは完全だった。

其の事は、光が真空中で直進することと同じくらい確かだった。

紛れも無く奴は剛の者だった。

そして悟った。

己の非力さを。

完全なる者を倒せぬ弱さを。





かくして、私の旅は終わることは無かった。

寧ろ、この経験により亦新たなる旅をする必要があった。

そして、私は誓う。

次こそはミルドラァスを倒すことを。







外には暗雲が垂れ込めていた。



























・・・と、今回は文学モノっぽく書いてみました。

表現力が無くてすみません。

多分読みづらいんじゃないかと思います。

使い慣れない漢字も多いし。

(なお)とか(また)とか読めた?

今読んでる本がこんな漢字ばっかりだから、むかついてきたので自分でもちょっと使ってみました。

内容は所詮ドラクエ5なんだけどね。

わかる人は読んで楽しんでください。

つまんないかもしれないけど。





本当は今日は選挙ネタにしようと思ってたんだけどなぁ。

何しろ生まれて初の選挙だし。

今日は千葉県知事選挙だったのよ。

ちゃんと投票もしてきたけど、何にもネタにならなさそうなので、今回はこれについて書くのはヤメ。




学校がもうすぐ始まるけど、ここの更新ペースはどうなるんだろう?

今までみたいにはいかないかなぁ。

まぁ、できるだけ頑張るけどあんまり期待はしないでね、数少ない或いはほとんど居ない読者の皆さん。




明後日は成績発表だ。


3月24日
ミッシングリーク

この日記中には既に過去に何度も登場していますが、私には妹がいます。

この妹、先日高校を卒業し、来月から大学生になります。

現役で大学に入れるのだから、非常に立派です。

本人にはまだ誉め言葉の一つもかけてやってませんが、兄はひそかに思ってます。

頑張ったな、と。



思えば、この数ヶ月間は我が家では妹が生活の中心でした。

妹の試験日程に合わせて、休みを取る親、わかるわけ無いのに問題を質問され適当にはぐらかす私。

入試というのはつくづく大変なイベントなわけです。

本人は精神的にもかなりつらかったことでしょう。

妹が思わず卒業旅行を企画したくなるのも十分分かります。

しかも、その行き先を沖縄みたいな現実とはかけ離れた空間にしたくなるというのは自然なことなのかもしれません。

とにかく、妹は頑張ったのです。

畜生沖縄かよぉ行った事無いっすよそんなとこ俺なんか西の限界は京都止まりだぞしかもそれって修学旅行で行った奴だし ゴーヤチャンプル食ってみてぇよ俺だってていうか今年はスキーすら行ってないままもう休み終わっちゃうじゃんか

なんてことは全く考えてないから、存分に楽しんできなさい、妹よ。






思えば私は受験は高校受験しか経験していないので、大学入試のプレッシャーや精神的苦痛はよくわかりません。

しかし、受験という言葉自体は高校受験も大学受験も一緒。

きっと多少は共通することもあるでしょう。

というわけで、私の高校受験時代とその後を思い出してみました。




受験を終わって、私の場合まず印象として残ったのは視力が落ちたということです。

中学3年の時は1.0あった視力が、高校入学時には0.6に。

まぁ、0.6なんて今の私から見ればのような視力ですが、当時は結構ショックでした。

しかし、受験が終わってもっとショックだったことがあります。

それは流行の曲の曲名およびアーティスト名が全くわからなくなったこと

これもたいしたことは無いんですが、当時は非常にショックでした。

なんか、社会的に自分だけ孤立したところにいるような気がしたんですね。

大げさに言うと。

この時のことは今でもはっきりと覚えています。

あれは確か、中学校の卒業旅行での出来事です。





中学の卒業旅行というのは、なぜか学校側が企画してくれたもので、バス旅行だったと思います。

しかも、行き先はなぜかマザー牧場

マザー牧場というのは千葉県の中央部に存在し、なぜかバンジージャンプやゴーカートなどの施設を有す半ば遊園地化した謎の牧場

東京ディズニーランドやザウスがある千葉県において、何故遊園地化することで儲けを得ようとしているのかわかりませんが、とにかくここはそういうところなのです。

しかし、私の卒業旅行の思い出が始まるのはマザー牧場からではありません。

思い出のシーンは必ず帰りのバスの中からです。





疲れてうなだれる顔たち、一列に4つしかない座席。

外から差し込む柔らかな日差し、どことなく会話の途切れた車内。

私はバスの後ろの方に座っていました。

そして、周りに溶けこむことなく、ただ前を見据えていました。

バスの前の方ではなにやらマイクを持った人が話しています。

多分どうでもいい話だったんでしょう。

その時の話の内容は全く覚えていません。

そのうちに、誰かが持ってきたラジカセを再生しだしました。

その中には当時流行っていた曲が一通り入っていたはずです。

具体的にどういう順番で、何が入っていたのかは忘れましたが、その中にある印象的な曲がありました。

その時のことは今でも忘れません。

その曲は華原朋美さんの『I believe』

しかし、このタイトルがわかったのは後日のことです。

私はラジカセから流れてくるその曲を聞いて、「あぁ、あのCMの曲か。」などと思っていました。

その時はその曲のタイトルも知らなければ、歌っている歌手の名前もわかりません。

当然歌詞もCMの部分以外全くわからないし、その曲を口ずさむ周りには全くついていけなかったことを覚えています。




その場はさも知っているような顔をして、なんとなく周りに合わせてやり過ごしたんですが、自分が全く周囲についていってないことに気づきショックでした。

別についていく必要はないんですが、その時は妙にショックを受けたのです。

思えば、音楽の話で周囲についていけないのは当時の私の生活を考えれば当然でした。

塾に通う日常、全くONになることの無いラジオ。

中3になって、何かの機会で月曜日の塾が休みだった時、いまだに続く音楽番組『ヘイヘイヘイ』の存在を初めて知った覚えがあります。

始めはタイトルを見て「なんだコリャ?」とかって思ったような・・・。

まぁ、『ヘイヘイヘイ』はどうでもいいんですが、とにかく言えることは、私はこの当時の音楽的な思い出が全く無いのです。

これはいわば自分の音楽史におけるミッシングリーク

ちなみに、この期間は『自分の連ドラ史におけるミッシングリーク』でもあります。




この反動か、高校入学後は音楽番組は見るようになったし、邦楽を聞くようになりました。

洋楽は中学の時のボンジョヴィ事件で飽きちゃったんだな。

ボンジョヴィ事件というのは、学校の昼食の時間にBGMとしてやたらにボンジョヴィが連打された事件。

一ボンジョヴィ終わると、次のボンジョヴィ。

翌日になってもボンジョヴィに始まりボンジョヴィに終わる。

考えてみれば、あれはかなり異様な時期でした。

それに、ショックを受けたのは邦楽でだしね。

洋楽は最近になってまた聞き出しましたが、しばらく聞いてませんでした。

それから、ついでだけど連ドラは最終回だけ見るようになったんだな、なぜか。

毎回は見てなかったというのが意味不明なんだけど。




で、何故こんなのが日記なのかって?

それはね、今の妹にも同じようなことがあてはまってそうだからだよ

歴史は繰り返されるもんやね。




そのことに気づいたのは、妹が沖縄に行く準備を進めているときの事でした。

妹は、何でも沖縄に行く際に音楽テープを持っていくとかで、私の部屋のMDコンポを占領していたのです。

MDコンポも、ポータブルMDもあるのに、何故テープなのかということは気にするな。

その理由は私にもわからん。

とにかく、問題となるのはその時にテープに録音していた内容。

すごいですよ。

かなり濃いというか、確実に独自路線でしたね、あれは。

全部わかるかい?皆の衆?

録音していたアーティスト一覧は以下の通りだ。

葉加瀬太郎
モンドグロッソ(名前あってるか?)
クラムボン
AQUA






「・・・・・・」

確実に流行と関係ないです、この人。






まぁ、流行を追うか追わないかは個人の趣味さ。

でもね、AQUAって先日私が買ってきた奴じゃないのかい?

テープが埋まらないからって、それで埋めるっていうのはちょっぴり痛いぞ。

ELTの曲を聞いて「この曲って前も出してなかった?」という質問に対し、私はどう答えればいいんでしょうか、妹よ。

「全部同じに聞こえる」って、そりゃあんたが完全に流れに乗ってないからじゃないのかい、妹よ。

沖縄に行くのはいいけど、それで周囲とギャップが出来たりしないのか?という風に思ってたりして。

あと、こっちが痛いから人のCDでテープを埋めるのはやめて。





・・・なんとも収集のつかない日記になったもんだ。


3月23日
サトラレ

皆さん、テレパスとかエンパスって知ってますか?

これらは心理学の用語なんだか、オカルト用語だかなんだかで、簡単にいえば他人の思考や感情を読み取る能力のことです。

確か、私の記憶が正しければテレパスが思考を読み取る能力で、エンパスが感情を読み取るのかな?

間違ってたらすいません。

しかし、今日のお話はテレパスのことではなくて、むしろその逆です。

いわば、逆テレパス。

流行に乗ればサトラレって奴です。
*サトラレというのは最近公開の日本映画のタイトル



『サトリ』というのは簡単に言えばテレパシストの事。

あるいは日本だから、そういった妖怪といったほうがいいのか?

まぁ、何でもいいや。

とにかくそういう奴よ。

で、話を戻して、サトラレですが、これはサトリの受動態なんだから、簡単にいうと自分の思考を相手に読ませることができる人の事

それは、別にわかりやすい行動をするからという意味ではないです。


サトラレは自分が意図も何もしないのに相手に感情を伝えられるのです。




つまり、簡単にいえば



サトラレ=プライバシーばれまくり



サトラレという映画での設定は多分こんな感じだったと思います。

興味がある人は、見てみてね。




今回なんでこんな前振りなのかというと、それはね

私がサトラレ、あるいはある店がサトリだからですわよ、奥様








そして、その店とは





BOOKOFF









さまざまな場所に存在する、大手古本屋のBOOKOFF。

こやつは、もはや私の行動を読んでいるとしか思えない。

そもそもBOOKOFFに行った事自体かなり久々なんですよ。

昨日の日記に登場した古本屋さんはまた別のところで、なぜか昨日は『日蝕』を買わなかったために、今日はBOOKOFFに行ってみたわけです。

こっちの方が安いかもしれないかなって思って・・・。

BOOKOFFに行ったのは本当にそれだけの理由だったんです。




それなのにね、

何で今日からセール期間なんだい?BOOKOFF




何度も言うけど、BOOKOFFに行ったのは久しぶり。

しかも、前回行った時も

セールやってなかったかい?
*2月10日の日記参照




これはもはや私の行動が先読みされているとしか思えない。

あぁ、前回の苦々しい思い出が思い起こされる。

あの時「帯をギュッとね」を27冊も購入したというのに、それだけじゃ不満なのか?BOOKOFF



よりによって、今回もコミック3冊100円だと?

文庫本も5冊100円?

ふ、甘いな、甘すぎるよ、BOOKOFF

人間というのはね、成長するものなのだよ。

そんなに、何度も何度も全く同じ罠でひっかるか!

少しは工夫してみたらどうだい?BOOKOFFさんよ。












だが、

なぜ今私の部屋は文庫本が山積みなのだろうか?












しかもね、その本を見ると

マイケル・クライトン『スフィア』(上)
マイケル・クライトン『スフィア』(下)
ロビン・クック『コーマ』
中村桂子『あなたの中のDNA』
坂東眞砂子『死国』
貴志祐介『黒い家』









文庫本なのになぜか6冊あるんですけど










ふ、負けたよBOOKOFF

今回も君の完勝だ





『日蝕』もなんだかんだで買っちゃったし、とにかくどれかから読まなきゃ。


3月22日
物書き

物語の始まりはドラマティックなほうがいい。




「この春先の季節は、日差しがとても暖かく・・・」





なんて始まりではとても読む気にならない。





「好きだぁ、結婚してくれ」




のように不連続で、唐突な感じがあるものがいい。(この書き出しもどうかという感じはするけどね。)

これは文章の書き出しが常に唐突であることによるのだろう。

文章を書き出すこと自体が静から動への変化そのものであり、無から有への移り変わりである。

だから、それにもかかわらず書き出しに大きな変化が無いものは、大抵読む気をうせさせるのだ。





こんな話をどこかで聞いたことがある。

これがどこまで正しいのかは知ったことではないが、一理あるような気がする。

そして日記を書いているといつも思うのである。




そんな劇的なことなんて無いよなぁって。




考えても見て欲しい。

日記というのは、日々の記録をつけるものであり、いわば連続的につづく日常を書き表すものなのだ。

それなのに読む気を起こさせる文章を書くためには文章に不連続さを与えねばならない。

これは、明らかに相反する二面性を有している。

しかし、ある意味では日記は矛盾を有さない。

日記は文章であり、いくら連続的に書かれているとはいっても24時間ぶっ通しで書いているわけではないから、結果離散的になり不連続になる。

大体、日記なんてタイトルがついているけど、このページに関しては全くその日に起こったことを書いてないから、その点においても不連続性を持っているといっていいだろう。



急にどったの?昨日とまったく違うじゃない?

と思われるかもしれませんが、まぁ、昨日のことは気にしないでね。

ていうか、できればそのまま忘れましょう。

今日の日記がこんな文章なのは、古本屋にちょっと寄ったためなんです。

その古本屋で私が気になった本は『日蝕』『一月物語』

べつに、このタイトルに心惹かれたというわけではないですが、気になったのはこの著者ですね。

タイトルだけで分かりましたか?この日記読んでる皆さん。


著者はね、平野啓一郎さん(確か)。


芥川賞作家だったか、直木賞作家だったか、どっちかです、この人。

しかし、非常にお若い人で、なんと1975年生まれ。

なんとまだ20代ですわよ、奥様。

私は81年生まれなんで、この人は6個上になるのかな?

まぁ、そんなことはどうでもいいです。

とにかく、この人の本が気になったわけですよ。

当然、気になるということはこの人の文章を読んだことはないわけです。

そして、そう考えた時に気づいたんです。





そもそも本自体最近読んでいないって事に。




いや、違うな。

この表現は正しくないな。

文章自体はいつも見ているし、本を読んでいないということも無い。

ただ、最近読んだのって


雑誌
説明書
漫画
教科書






「・・・・・・」

表現力がつかないわけだよ(泣)





ということで、明日からちょっと本を読むことにします。

そしてやる気が出てきたら、ひそかにあたためていたあの企画を・・・・・・遂行するやも知れん

その企画というのは、ちょっとした文章を書くこと

え?もう書いてるって?

それは違うよ、君。

こんな日記とか、ドラクエとか、ヒットマンに捧ぐなんかを書くわけじゃないよ。

もともと書こうと思ってたのはね、小説だよ。


ていうか、本当は一時期少し書いてたんだけど、出来が悪いから途中で止めたんだよなぁ。

その時は。



なんか一週間前に戻ったような文章だな、今日は。


3月21日
不幸

面白いってなんでしょうか?

この問いの答えは真面目に考えるとよく分かりません。

面白いと感じること自体は人それぞれ違うし、面白いことに共通点なんか無いからです。

だから絶対的に面白いものというのは誰も言うことが出来ないのです。

でもね、

人に面白いと思われやすいものなら知ってるぜ。




それはね、人の不幸




侍魂を見て面白いって感じた皆の衆、何で面白かったんだい?

それは「痛い」から。





お笑い芸人が何でコント中に人をよく叩くか知ってるかい?

それは「痛い」から。





つまり、私が何を言いたいのかというと

ネタは不幸とともに訪れる













こんな事言ってると今日もネタが無いのかと思われるかもしれませんが、
それは違います。


その逆です。

あったんですよ、今日は。


これは今までネタが無いと言ってきた私に対する神のあてつけなんでしょうか?

でもね、神よ、神さんよ、

痛いからこんなこと言いたくも無いんですけど。

「一体何のことなんだ」と思いながら読んでいる読者の皆様、申し訳ありません

残念ながらそれはまだ言えないのです。

しかし、安心してください。

決して誰かがんだというようなものではないですから。


そこまで重大なことではないです。

いや、私にとっては重大なんですが、これ以上はここでばらすことは出来ません。


じゃぁ、何でこんなところにこんなこと書いたのかって?


それはね、




とにかくどこかにブチマケタカッタカラ。





子供っぽい事をして申し訳ありません。

これを読んで不愉快になったというなら謝ります。

サークルの公式なホムペを個人的な不満のはけ口にするなといわれても仕方がありません。

でも、今日だけは勘弁してください。

自分にあまりにも腹がたって仕方ないのです。


どうか八つ当たりさせてください。



以下の言葉は星野自身に向けて送る言葉です。

他の人には一切関係ありません。

なお、質問などは一切受け付けないのであしからず。





何やってんだ星野それでも男か昨日の決意はどこに行ったんだキャラチェンジしたんじゃないのか 弱虫優柔不断軟弱臆病者そんなことでいいのか星野頑張れ星野負けるな星野くじけんな終わったとかって思うな まだ何もしてないじゃないかくだらない計算なんかするな真っ向勝負だ当たって砕けろなんか書いてるうちにだんだん落着いてきたがこんなの書いてアホじゃないのか ていうかある意味ばらしてんじゃないのかでもそんなこと気にするなこれが自己防衛本能だ 明日を見つめろってもう日付変わったんじゃこれ後で読み返してどう思うんだろうきっと痛いとかって思うんだろうな 今年入ってくる予定の新入生はなんて思うんだろ恥ずかしいからここの存在自体伏せとこうかな痛いもんな見られたら たいしたことじゃないさ2週間くらいすぐだすぐ来週になれば忙しいからあっという間だ千葉県知事選挙もあるしどうってこと無いって 成績表の心配でもしてろ新入生の勧誘法でも考えてろ常時接続になる日を夢見てろ大丈夫問題なんか無いさ むしろいろんな人にこの文章見られる方が問題だってでもめんどくさいからもう載せちゃうよ文章変更しないよこの 文章を一生懸命読んでくれた人ありがとうそしてごめんなさい実のところ全部読まれると非常にハズいですできれば読まないで欲しかったです でもこれ書いてちょっと気分が収まったよもう大丈夫だまもなく立ち直るよ別に本当はショックを受けるようなことじゃないんだし ある意味これでよかったのかもしれないし今回のタイトルは不幸だが実際には不幸になったわけじゃなくて 自分が情けないだけだしこんなところに逃げてる自分が嫌だっただけ現実逃避したかっただけ




強い人間になりたいです。


3月20日
大切なもの

人間は皆大切なものを抱えて生きている。

個人個人それは違っているが、皆にとって共通していることはそれはとにかく大切であるということだ。

通常それは生きがいなどと呼ばれる。

しかし、それはあまりにも生活に密着しすぎているため、それが自分にとって大切だと感じることはそんなに多くない。

だからこそ、これを読んでいる人にあらためて訊いてみたい。



あなたは生きがいを意識したことがありますか?



この質問に対して力強くYESと答えられる人は、大変な局面を今までに経験したことのある人だろう。

なぜなら、私が思うに生きがいをもっとも強く意識できる瞬間というのは

それを失いそう、あるいは失った瞬間だから。

これを読んで「星野、何かっこいい事言ってんだ?」と思うでしょう。

「ドラマの見過ぎなんじゃねぇの?」と思うでしょう。

しかし、しかしですね、はっきりと言っておきます。



今私は真剣です。
とてつもなく本気です。




こんな文章を書く気になったのは昨夜の出来事がきっかけです。

いつもどおり日記を更新し、なんとなくいくつかのサイトを見回っていたときにそれはおきました。

ブツッ!

「・・・・・・」
何でディスプレイが真っ暗なんですか?



これには本当にビックリしました。

フリーズするならともかく、アプリケーションエラーが出るならともかく、

モニターの死亡は全く洒落にならないんですけど。

私のパソはすでに2回修理済みであり、これ以上何らかの障害が出るようならこのマシンはぶった切るつもりでおりました。

今もその気持ちは変わっておりません。

しかし、その時妙に気にかかることがありました。

それがこのサイトの中のこれです。

侍魂様に影響され、このサイトの中で唯一やる気でみなぎっているのがこの日記。

モニターが死んだらこの日記が書けないじゃないか!!

この時、私は初めて意識したよ。



生きがいというものを。



そして感じた。

この日記が自分にとっていかに大切だったのかを。



侍魂を知ったのは先週のこと。

考えてみれば一週間弱しかたってない。

日記に至っては今日の文章を入れても五日目に過ぎないのだ。

しかし、もはや期間など関係ない。

この5日間は私にとって、異様に輝いていた5日間であるし、充実した5日間だった。

そしてその5日間の何割かはこの日記を書いていたのである。

そう、こういっても過言ではないだろう。

この日記こそがこの5日間を私の生きた証だと。


そして、ここに私は誓おう。

これからもこの日記に全力を注ぐことを。



いわば、この日記は私の


全身全霊
一所懸命
努力の結晶




うわぁ、こんなこと宣言してよかったのかなぁ。

学校始まったらどうすんだよ?

今までほど日記には時間かけられないしなぁ。


しかし、最大の問題はそこではありません。

それは、この日記が皆様にどう受け止められているかということ。

日記を改革して5日間、面白いと言ってくれたのは一人だけ

これはまさにドラクエの間状態


無駄な思い入れ
砂漠に植えるマングローブ
テレビの前でキャーキャー言うキムタクファン







頑張れ、私。

負けるな、私。

周囲がどう思おうともはや関係ないわ。

自分が満足ならそれでいいじゃないか。

メモ帳で編集できないほどの文章を書いたことを誇れ!

テキストだけで100KBを超えるまで書きつづけろ!






・・・でも本当は応援が欲しいの。

みんなに見てもらいたいの。



今回は大きなフォントをちょっと使いすぎたかな。

反省。


3月19日
表現を学ぶ

昨日も侍魂はあつかった。

このサイトを見るためにいつも思うことがある。

「こいつ、なんでこんなに面白いんだ?」

1日に2万ヒットを記録する侍魂様と自分を比較することが、いかに無謀なのかは分かっているつもりではある。

しかし、私とて囲将会のホームページの管理人であり、日記を書いているものの端くれ。

どうしたって比較したくなるのは仕方がない。

そして自分の非力さを強く悔やむのである。

どう考えても侍魂とこのサイトには、ネタ以上に表現力の差があるような気がしてならない。

自分にもっと表現力があれば・・・。

読者に対する迫力があれば・・・。



そこで

突然緊急企画 日本語を研究しよう


何らかのものについて研究するには、どうしても教材が必要である。

かといって、侍魂様を解析したのでは、永遠に侍魂様を超えることは出来ない。



だが、偶然にも今は3月半ば。

すなわち、学年の移り変わる時期。

簡単にいえば、(つはもの)どもが夢の跡(意味不明)

しかも妹は昨日で高校卒業=教科書山積み

というわけで、使用する教材は



第一学習社『新訂総合国語便覧』[1998年]本体価格829円(税別)

監修は稲賀敬二、竹盛天雄、森野繁夫の3名。

これを教材としていきます。

うわぁ、国語の教科書見るのって考えてみれば2年ぶりだ。



表現力を高めたいのだから、表現のところをみればいいのかな?

表現が載ってるのは・・・420ページ。

何が載ってるのかと期待しつつ、そのページを開く。

おぉっ、『文章表現の手順』まさにこれ・・・なのか?

いや、違いましてよ。

知りたいのは手順じゃなくて表現そのものよ、お兄さん。

わかっていらして?

でもまぁ、ここを開いてしまったのも何かの縁。

せっかくだからここの単元を学習してみよう。



これによると、文章は次のような順で作成するらしい。

文章表現の手順
1,題材集め
2,題材選択
3,主題決定
4,構想
5,叙述
6,推敲
7,清書

なるほどね、ってこれだけじゃ意味不明でしょうからそれぞれ補足していきましょう。

1番は、簡単に言えばネタ集め

「・・・・・・」

それが集めるほど無いから困ってるんですけど(泣)

まぁ、ネタまみれっていうのもどうかと思うけどさ。

ということで、これは仕方なく無視して2番。

2番は説明をそのまま引用してみようかな。


多くの題材の中から、一番書きたくて、友達にも興味・関心があり、しかも分量的にも適当なものを選ぶ。
*第一学習社「新訂総合国語便覧」p420より抜粋


だから、たくさんなんか無いって(泣)

人の悩みを全く解決してくれません、この本。

ネタがありゃ苦労しないざますよ、奥様。

ネタが新鮮なら料理人がいかにヘボかろうと、舌の上でとろけてくれるわ。

ただ洗って、盛り付けるだけで立派な料理になるってのよ、お兄さん。

もはや3番以降は見ていく気にすらなりませんが、せっかくなので続けることにしましょう。

3番は


この題材で自分が述べてみたいと思っていることを一文でまとめてみる。
*第一学習社「新訂総合国語便覧」p420より抜粋


だってさ。

これは簡単だな。


「面白くなりてぇ」


なんか、改めて書くとお笑い芸人みたいだ、この主題。

で、4番は?


話題メモを頼りに書きたい事柄を箇条書きにする
*第一学習社「新訂総合国語便覧」p420より抜粋


話題メモ?

そんなの当然無いって(即答)

日記書くのにそんなメモなんか作んないって。

ていうか、メモなんか作れるほどネタがないっつうの。

私だって、先行者くらいのかっこいいネタが欲しいわよ。

なんかだんだん読んでて嫌になってきたんですけど。

簡単に言えば、ネタが無いなら文章書くな!って事でしょ?

これって、日記そのものを否定しているような気がするんですけど・・・。

まぁ、そんなことは置いといて、次は5番かなぁ。


いよいよ書き始めることになるが、まず題名をきめる。
*第一学習社「新訂総合国語便覧」p421より抜粋


これはもう決まっているし、文章自体ももう書き出しちゃってるんだけど・・・。

仕方ないからこれも無視だね。

で、6番は?

文章を書く作業は、どのプロセス(過程)も推敲の連続である。
1)誤字・あて字・脱字を訂正する。句読点についても注意する。
2)語句の誤りや歩適せるな表現を直す。
3)むだな語句を削ったり、足りない語句を補ったりする。
4)論理的に筋が通っているかどうか、前後で食い違う叙述が無いか、を調べる。
5)段落や全体の構成を省みる

*第一学習社「新訂総合国語便覧」p421より抜粋


推敲か。

確かに文章を書くものとしては常識だな。

こんなのはもちろん・・・やってない(泣)

私が推敲してないというのは、ドラクエの間を見てもらえれば分かるでしょう。

誤字脱字のオンパレードむしろオールスターです

私が過去に作成したコンテンツの9割は推敲してないです。

そりゃ、本当なら推敲を繰り返すべきだってのは私も分かってます。

でもね、でもなのよ。

推敲繰り返してると時間かかるんですけど。

この日記だって、ここまで書くのにすでに2時間以上かかってるのよ?

ドラクエの間のコンテンツだって、あんな文章でもいつもかなり時間かけて書いてます。

ていうか、どう考えても時間の無駄遣いです、あれは。

誰が読んでいるのかも分からないし、むしろ読まれてもいないかもしれないあの文章。

それでもね、


一生懸命書いてんのよ

これはいわば


誰のためなのか分からない自己犠牲

仏の望まぬ不惜身命
*不惜身命:仏道のために命を惜しまず勤めるの意

余計なおせっかい



読者の反応がわからないというのは結構つらいです。

応援とか批判は全く聞いたことないし。

ていうか、ただ誰も読んでないだけなのかなぁ?


話を元に戻して7番の清書ですが、

こんなのやってるわけ無いって

ていうか、下書を書いてません。

当然、即清書です。

これからはもうちょっと真面目に文章書くようにしようかなぁ。

先代とか侍魂はどうやって文章書いてるんだろう?


3月18日
自分の地位

本日3月18日は日曜なのに妹の高校の卒業式だった。

これは私自身とは全く関係ないイベントである。

卒業するのは妹だし、保護者として卒業式に行くのは父母であり、決して兄の私ということはない。

だから、当初の予定ではいつもどおり昼頃に起き、「今日も不毛な一日だったな」と思いながらこの日記を書くといった一日になるものだと思っていた。

少なくとも、一昨日までは。


だがそれは誤りだった。


恐るべき理由により私の一日の予定は大きく狂うこととなった。

その理由とは

「ドライバー」

これだけのために朝っぱらからたたき起こされるとは・・・。

起床時間はどういうわけか卒業する本人よりも早い。

ていうか、ざけんな。

もうちょっと寝かせてくれ。

しかし、この私の「ドライバー」としての地位は今に始まったことではない。

普段運転なんか全くしないくせに、何らかの行事があるたびに運転させられている。

思い出すのは結婚式とか、法事とか、新年会とか・・・。

これらのイベントで私が運転する理由はただ一つである。

それは、親が酒飲んでるから

免許を取得してからというもの、長距離の運転はほとんどこの理由による。

だいたい、私自身は運転はそもそも好きではない。

かなり前に、フジテレビの人気番組『笑っていいとも』に出演していた俵万智さんが、「教習所を卒業して一番うれしかったのは、もう車に乗らなくて済むということ」というすさまじい発言をしていたが、 その気持ちは私はかなりわかる。

だって、運転つまんないもん。


ていうか、車好きの人は何がそんなにいいの?

全く分からない。

まぁ、人の好みの理由なんか大抵はわからないものなのだろうが。

というわけで、私は免許をとってからというもの、恥ずかしいことに自主的に車に乗ったことはほとんどない。

自分の車を買おうなどと思ったことは当然ないし、それでも実際には不自由は特にないと思っていた。

しかし、しかしである。

免許を取得してから約1年半、今ごろになってとんでもない事態に気がつかされた。

それは父を昼に迎えに行って、そのまま昼食を食べるべく、駅のそばのうどん屋に入っていこうとした時の出来事だった。

車に乗っているのだから、店に入る前には当然駐車場に駐車せねばならない。

駐車場はうまい具合に左側前方に2台分の空きがあった。

前進駐車というわけではないから、左の駐車スペースに入れるべく、右にハンドルを切り、その後後退開始。

やがて車は駐車スペースに

・・・入ってない。

車は駐車線を完全にまたぎ、確実に2台分のスペースを占領。

ていうか、下手くそ。

情けないことである。

仕方なく、一旦前進してから駐車しなおすことに。

チェンジレバーをDからRに入れ、後ろを向きつつ再び後退開始。


ピィーッ、ピィーッ、ピー・・・ドンッ!


後ろのフェンスに衝突した(泣)

しかし、これだけなら車が多少へこもうとも、私はへこまない。

へこんだのは、むしろその後。

車を降りてからである。

・・・駐車位置がなおってない(泣)

さすがにショックだった。

駐車位置をやり直しても、まだきちんと駐車できないとは。



というわけで、お知らせです。

誰か、私と一緒に旅行に行きませんか?

もちろん「車」で。

きっと、普段とは違った世界が垣間見える事でしょう。

神様とか閻魔様に会える可能性です。

参加希望者は囲将会星野まで。


3月17日
己を探して

昨日日記を侍魂に影響されて大幅改革したところ、先輩からこんな一言をプレゼントされた。



「星野のキャラじゃない」と。





・・・・・・

確かに。


全くもってそのとおりだと思う。

このページは私のキャラではない。

しかし、そう思ったときに新たなる疑問が心の中に生まれた。

いや、正しくは前から思っていたことに改めて直面させられた。



俺のキャラって、そもそも何?




いや、この発言自体おかしいな。

一人称で「俺」なんて普段使わないもんな。

文章に書くときに使う一人称は「私」だなぁ。

これは高校のドイツ語の教員の影響。

私の出た高校はどういうわけか第2外国語があって、私はドイツ語を選択していた。

で、高1の時にあたったドイツ語の教員が分けわかんない奴で、当てられた時に一人称で「私」という言葉を使わないとキレルんだよなぁ、毎回。

まぁ、確かに教師に対して「俺」とか「僕」ではまずいような気はするが、しかしあまりにもうるさく言われたので、それ以来「俺」という一人称を使うことに異様な抵抗が。

で、今となっては「私」を使うんだよね、大体。

日常会話でも「俺」は使えなくなっちゃったね。

同学年とか、後輩に対しても使えないもん。



まぁ、そんなことはいいや。

問題となってるのは今の自分のキャラがなんなのかって事。

これは改めて考えてみると、結構難しい。

周囲に影響されると自分のキャラから外れるのは間違いない。

しかし、私の場合考え方が「むしろ周囲に影響されて生きてゆけ」だから、影響されること自体は非常に自分らしいように思う。

人の影響を受けること自体は悪いことではないし、良い所はどんどん影響されるべきだと思っている。

侍魂の影響で日記はこんなになってしまったが、これは侍魂の日記のほうが囲将会の日記よりも人を惹き付ける魅力があると思ったから見習ったまでのこと。

見づらいっていうんなら直すけどさ・・・。

とにかく、しばらくはこの形式の日記を続けていくつもり。



まぁ、日記の形式は直せばいいとしても、自分がどういうキャラなのかというのは確かに考えなければならない問題ではある。

それを考えるべく今日の自分の行動を考えてみよう。


起きる



飯を食う



ARMS16巻とAQUAの『AQUARIUS』を今頃買う



日記を書く

うーむ、ここから分かるところは私のキャラを表現するのに役立ちそうなのはARMSとAQUAですか?

ていうか、これしかないの?

まぁ、雨降ってるし、そういう日もあるだろう。

雨降ってなくてもいつもパソの前に座ってるような気もするが、そういうことは気にするな。

まずARMSだけど、これは本棚にも紹介している漫画。

ジャンルは言うならばSFですか?

そういえば、本棚で紹介してる小説もSFだね。

ということは

1)星野はSF好き

そうだったのか。

前前からそうなのかな?とは思っていたが、ここで正式に結論付けておこう。

次に自分を探る材料となるのはAQUAか。

この今日買ってきたAQUAの『AQUARIUS』って、2000年に出たCDなんだよね。

ていうか、古い。

思えばこのアルバムは去年買うかどうか迷いつつ、買わなかった奴だ。

なぜ今ごろになって買う気になったのかは全くの謎。

それから、これを買うときに気になったのだが、AQUAってdance musicに置かれてんのね。

正直言って、danceなんて買うの初めてよ、奥様。

今まで気にとめてたのはrock中心。

では、何故に今回はAQUAだったのか?

それはね、Vocalの声が気になったからだよ。

分かるだろう?皆の衆。

あの声優声系+声優声系、気になんない?

しかし、勘違いしてはいけないのは、私は別に声優好きではないということ。

声優ときいてすぐ頭に浮かぶのは神谷明かな、やっぱり。

「お前はもう死んでいる」・・・これだねぇ。

まぁ、話を元に戻しましょう。

私が好きなのはつまり、声優ではなくて、声優声系のVocalなんだな。

洋楽聞いてないから、AQUAなんか存じませぬ上様って人はJUDY AND MARYとかGITANEとかをイメージしましょう。(かえってわかんなかったりして・・・)

そういう系よ、そういう系。

でも、普段からそんな声で話す奴は嫌いよ、どっちかというと。



以上から次のようなことが分かりました。

2)星野は流行おくれ
3)声優声系のVocal好き

ウーム、徐々に自分のことがわかってきたようだ。

ていうか、だんだん自爆系のページになってきてしまっているが、どうしましょ?

まぁ、もうなんでもいいや。

私のキャラ評価はあとは勝手にしてやってくださいまし。


3月16日
日記革新!!

それは昨日の出来事である。

いや、正しく言うと今日なのだが、深夜の出来事なので気分的には昨日の出来事である。

その出来事というのは、ただあるページを面白いからといって紹介されたというだけのことなのだが、これは私に多大なる衝撃を与えた。


これがそのページである。*ページをクリックしてね。





「・・・・・・」






面白いじゃん!!






このページは日記がメインというだけあって、日記がすごく面白い。

文章表現力もさることながら、それ以上に私が感心したのはフォントサイズの使い方とか、改行の仕方である。

私は今までこの囲将会の日記は先代が書いていたものを基調にしてやってきたつもりだった。

先代による囲将会の日記はフォントサイズや色などはほとんど変化させずにかかれており、それがページ全体のバランスをとっていた。

だから、それを引き継ぐことが見やすいページの制作につながるのだろうと思ってこれまでやってきた。


だが、其れは誤りだった・・・。



今回今までの囲将会の日記は迫力と、更には見易さの欠けたページになっていたのだろうと痛感した。

画一的なフォントで文章を書くのは、文章のメリハリをなくし、かえってコンテンツを見づらくしていたのである。

他の日記以外のコンテンツにしたってそうだ。

ある程度は地の色を合わせたほうが見やすいのは間違いないが、それにしたってただ同じフォントでだらだらと文章を書くのでは迫力が足りないし、メリハリも感じない。


そんな構成で人の心をひきつけることが可能だとすれば、それには何しろ内容が必要になってくる。


私は先代の書いた日記がかなり気に入ってはいたが、それは先代の文章が面白かったからである。

しかし、自分がホムペを制作する立場になってみると、面白いコンテンツを作るのはめちゃくちゃ難しいし、日記を毎日書くなんて至難の業だ。

大体、


ネタなんて毎日見つかるわけないじゃん(泣)


「ネタは、見つかるんじゃなくて、見つける ものなんだぜ!」という心の内からの声が聞こえてくるのがまた痛い



んなもんわかっとるわ!



分かってはいても、見つからないのが厳しいところ。

だいたいそうだろう?

んなもんが普通の人にポンポン見つかったら、詩人なんておまんま食い上げよ。

「咳をしても一人」なんて、有名にも何にもなんないわよ?
*「咳をしても一人」は尾崎放哉の非常に有名な自由律俳句。尾崎放哉は種田山頭火と並ぶ有名な自由律歌人


「かわいそうに、一人身なんだね。」

「で、それがどうしたって言うの?」

「一人身の人なんて星の数ほどいるわよ。」

「だからあなたが病で倒れてたって、誰も知ったことじゃないわ。」




「勝手に一人で死ねば」















・・・・・・






い、いやぁーーーーー
そんなの絶対に嫌ぁ。




・・・やっぱり従来のスタイルでいいのかも知んない。

鈍い感性持ってるからこそ、鋭い感性の人の表現に感動するわけで、鈍い私は そんなに無理してネタを見つける必要はないに違いない。

いや、むしろ全員が鋭い感性持ってたら困る。

それこそ将来日本は破滅するに違いない。

つらい人間の存在に誰もが気づくものの、厳しい現実にさらされた人を見慣れた全国民。

見慣れているから感性が鋭いくせに感覚が麻痺して他人に対する思いやりは全く発生しないし、お互いに助け合おうという精神は生まれてこない。

本当にそんなことになるかどうかは、全員の感性が鋭くならなきゃわからんが、もしなったとしたらその国は破滅だ。

株価が暴落しても政府は何もしない、どころかマスコミが騒ぐことすらない。

いや正しく言えば、騒いでいてもだれも騒いでるとは受け取らない

これでは全員の感性が鋭いことは、結果として全員の感性を麻痺させることにつながっているわけで、すなわち全員の感性はより鈍くなったのと同じ事になってしまう。

なんか、書いててだんだん自分の議論がおかしいような気がしてきている(なんとなくパラドックスっぽい)が、この際気にせず押しとおすよ。

つまり、感性が全員鋭いことと全員鈍いことは同値で、どちらも結果としてなぜか感性の麻痺という結果を示すということですな。

重要なのは、感性に個人差が存在することであり、鈍い感性と鋭い感性の差が存在して初めて鋭さという観念が発生し、かつバランスが保てているということだろう。(?)

てことは、私のように鈍い人間がいる限り日本は、・・・ひいては世界は安全なのか?

それはつまり、

私が世界のバランスを保ってると?












・・・偉いんじゃん、俺って。


くだらないオチですみません。

ていうか、オチてないような気もするし。(泣)

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